昭和30年代半ばの初弾きの様子。戦後、最もにぎわいを見せた時期で、多くの芸妓が芸を競い合っていた。
(写真提供/NBC長崎放送)
第二次世界大戦後は、検番組織の縮小が続いてしまいましたが、残った2軒の検番を中心に長崎芸能会が設立され、約100名の芸妓が活躍するまでになりました。
昭和40年代の高度経済成長期を経て、長崎では昭和50年代はじめになると、置屋が廃止され、長崎花柳界は縮小傾向となりました。このころ、長崎芸能会は長崎検番に改称し、芸妓の手配・送迎・花代の精算を行う、現在の事務所のかたちをなすようになりました。
平成の時代に入り、減少しつつあった芸妓衆にも新人芸妓がデビューするなどし、現在では16名の芸妓が長崎花柳界を支える存在として活躍しています。
九州では、各地に存在した検番も、現在では福岡の博多券番と長崎検番だけと貴重な存在になりましたが、伝統を受け継ぐ担い手として、日々稽古に励んでいます。